HELL 地獄の歩き方・タイランド編
地獄に行きたい人間は、あまりいない。
なるべくイヤなこと、体験したくないことを何百年、何千年にわたって、何億人もが考え抜いた、究極のネガティブ・イメージ。それが地獄というものであるはずだ。
それなのに世の中には、死んでからしか行けないはずの地獄を、いますぐ味見してもらおうと、手間ヒマかけて再現してしまうひとたちがいる。
プロのアーティストではなく、そのへんのコンクリート職人や、お寺の信者たちが、ちからを合わせて造りあげた苦しみのヴィジョン。シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。現世の片隅にひっそり毒花を咲かせる、そんな地獄庭園に魅せられて、長いこと撮影行を続けてきた。
これをアートと呼べるのかどうか、僕にはわからない。けれど世の中に「アート」という名前で流通している商品よりも、はるかにリアルな思いのカタマリがここにある。
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「国王は仏教徒でなくてはならない」と憲法に規定されているくらい、タイは揺るぎなき仏教の国。国民の実に95%あまりが仏教徒だと言われている。
タイ族の国家が形成された13世紀から現在に至るまで、スリランカ系のいわゆる上座部仏教がこの国には根付いてきた。タイをいちどでも訪れたものなら、その信仰の篤さがいまの時代にあっても、いささかも衰えていないことに気がつくだろう。
早朝の街を行く黄衣の托鉢僧の列。そびえ立つ独特の屋根を持った寺院の多さ。そしてまたタイを訪れるものは、庭の一隅 や街角など至るところにまつられた「サーン・プラプーム」という名の祠を目にし、タイの仏教信仰が太古からの精霊信仰と結びついていることを知るだろう。
バンコク市内では見かけないが、タイの農村地帯を行くと、大きな仏教寺院の境内の一角が『地獄・極楽めぐり』になっていることがある。日本でも同様の「宗教観光施設」は珍しくないが、タイはさすが南の国、スケールも作りもおおらかなアウトドアの地獄・極楽になっている。仏教と精霊信仰の絶妙なミックスから生まれた地獄・極楽苑、それはお父さんお母さんが子供に戒律を教える教育の場でありながら、期せずしてもっともインテンシヴなアウトサイダー・アート空間でもある。
仏教には「五戒」と言われる、在家信者が守るべき基本の戒律が定められてきた。不殺生戒(生きものを殺してはいけない)、不偸盗戒(他人のものを盗んではいけない)、不邪淫戒(自分の夫や妻以外と交わってはいけない)、不妄語戒(ウソをついてはいけない)、不飲酒戒(酒を飲んではいけない)――こうした規範を設け、善き人生を送るためのガイドラインとして機能することが、宗教というものの重要な役割であることは言うまでもない。
善いことをすれば善いことがあり、悪いことをすれば悪いことが待っているという因果応報観は、地獄のありさまが恐ろしければ恐ろしいほど説得力を持つ。地獄庭園とは、すなわちトライプームが描き出す餓鬼界と地獄界を立体的、現実的にあらわしたものにほかならない。
それは仏道の五戒を守り、寺院や僧侶を大切にすることを手を変え品を変え教え諭すための、壮大なイラストレーションであり、教えを体感するための立体図解であり、われらを死後に待ち受ける世界へのシミュレーションライド装置なのだ。
目次
ワット・パーラックローイ ナコンラチャシマー
ワット・パイロンウア スパンブリ
ワット・プートウドム ラムルーカー
ワット・ムアン アユタヤ
ワット・プラローイ スパンブリ
ワット・セーンスック バーンセーン
ワット・ケーク/ブッダ・パーク ノーンカイ/ビエンチャン
ワット・ルアンポーナーク ウドーンターニー
ワット・ガイ アユタヤ
ワット・タムターパーン パンガー
ワット・シーコームカム パヤオ
ワット・タウェット スコータイ
<コラム>
ワット・パーク・ボー バンコク
ワット・ロンクン チェンラーイ
チャオ・メー・タプティム バンコク
あとがきにかえて:プーケット・ヴェジタリアン・フェスティバル